スーパーコンピュータを20万円で創る [伊藤智義/集英社新書] [ref.]、を読む。
天文学を学ぶために東京大学の大学院に入学した著者は、志望した研究室の杉本教授にコンピュータの作成を命じられる。著者は、星の動きのみを計算する機能のみを持つコンピュータを約1年で「創り」上げてしまう。かかった費用は20万円。しかしそのコンピュータは当時のスーパーコンピュータの十分の一に匹敵する性能を有していた、という話。
新書なので内容はどうしても浅くなってしまうが、技術的な話と人間関係の話がうまく溶け合って読みやすい。コンピュータについて何も知らなかった著者が一から勉強をし、何億円何十億円とするスーパーコンピュータに比類するようなコンピュータをたった20万円で創り上げてしまう、というストーリーを読むと何だが狐につままれたような気分がする。
上の話に代表される専用コンピュータやDomain Specific Languageのような考え方って突ついておいた方が良さげ。
現代民話考 (5) - 死の知らせ・あの世へいった話 [松谷みよ子/ちくま文庫] [ref.]、を読む。著者が普通の人々から不思議な話を聞き、それらを分類してまとめたのがこの現代民話考シリーズである。本書では、あの世を見てきた話などと、死んだ人から「死の知らせ」を受けた話と、生まれ変わりについての話がまとめられている。
この本を読んでいつも思うのは、よくわからないけれど昔はこういうことがあったのかな、ということだ。書かれている話には昭和初期の話や戦前・戦中のものが多く、最近の話はほとんどない(シリーズ後半の書籍には存在する)。読めば読むほど、現代との隔絶を感じる。まるで小説の中の出来事を読んでいるかのように思える。
しんみりとした話が多い中で笑える話もある。
高知県土佐清水市上の加江村。村の禅源寺の住職の総崎さんは村人たちによくこんなことをいうていた。「おらは七十六歳迄の命をもろうて来たが、人の命ごいをして十年ちぢめたので六十六歳の何月何日の何時に死ぬることになっちょる。」村人達は誰一人として本気で聞く人はなかった。総崎さんがいつも言っている死ぬ日が近づき、一週間前になると総崎さんは日本中へららばっている弟子のところへ「キトク……」という電報をうった。弟子の坊さん達が取る物も取りあえず禅源寺へ来てみると総崎さんは水を汲んだり、薪を割ったりして元気に仕事をしているので、「師匠も人が悪い、キトクというから来てみればぴんぴんしてござる、何がキトクなもんか」と口々に苦情を言いましたが、「いや、いや、おらの命はあと四日しかない、三日しかない、だからキトクじゃ」と、すずしい顔をしている。集った弟子の坊さん達は「こりゃー、師匠は頭へきちょるぞ」と話合っておった。いよいよ、いつも言っていた死ぬ日になったので総崎さんは朝早くから弟子達を指図して掃除をしたり、御馳走を作ったりして寺総代や村の役員を呼び集めてお膳についてもらって、永年世話になったお礼などを言って別れのあいさつをはじめた。村人達も弟子達も、「いよいよ血が頭へ昇ったぞ」と思って見守っていた。やがてお寺へ集った全部の人達へのあいさつが終るとお経がはじまり、弟子達も村人達も一緒に、御参りした。お経が終り、最後のカネをチーンとたたくと総崎さんは深々と首を垂れた。あまり永く首を上げずに座っているので弟子の一人がそばへ行ってみると冷たくなっていたので居合わせた人達は予言が本当であったことを悟った。そしてまことの大往生とはこのようなことかとささやき合ったということだ。文・石野春夫。出典・「土佐の民話」六十六号(土佐民話の会)
死の知らせ・あの世へいった話 [p.315-316/松谷みよ子/ちくま文庫]
呼ばれた人の驚きようを想像するとおもしろい。
ゼミなどがあって消化が進んでいなかったフィードを一気に消化した。集中してかつある程度読み飛ばしながらやっても3時間程度かかった。気になった記事はブラウザ側に開いていくので、いつも下のスクリーンショットのような状態になる。(この状態でも表示部分が少ないだけで遅延なく閲覧できる)
タイミングが良いのでlivedoor Readerへの移行にもう一度挑戦してみる。以前試した時にはクローラの巡回間隔が長すぎて使えなかったのだが、それが直っていることを期待してしばらく試用予定。